世界と日本の博物館、時々ごはん

博物館を巡りながら、おいしいごはんと旅の模様を綴っていましたが、途中でコロナ禍になり、ほぼ日本の博物館。

【鹿児島】知覧特攻平和会館(旅行2日目)

旅行2日目です。
今回の旅の主目的である、知覧特攻平和会館に参ります!

 

知覧行きのバスに乗る前に、前回鹿児島に来た時に大好きになったパン屋「ベッカライダンケン」さんで朝ごはんを食べました。前回は、コロナ前だったから「焼き立てパンで――す!」ってパンがどんどん出てきて店内にいい匂いが充満して…という感じでしたが、さすがにパンは個別包装になっていました。マスクもしているし、店内に入った瞬間のふわ~~っとしたパンの匂いは前回ほど感じなかったけど、相変わらずおいしかったです。

 

鹿児島駅から知覧まではバスが出ています。所要時間は1時間20分ほど。ただし路線バスなので、体感としてはもっとかかった気がします。

 

9時半の鹿児島中央駅発、11時前に到着しました。

なんか人いないし、看板ないし、博物館っぽい雰囲気もない。。一緒に降りた人たちもほぼほぼ知覧特攻平和会館目当てだろうに、みんなできょろきょろ…

上の写真の奥のほうに、赤い何かしらがあるのが分かるでしょうか…

これに向かって歩きます。横断歩道を渡って、お土産屋さんが何軒か出ている道を抜けます。

 

やっとそれらしき場所に。こちらは、航空自衛隊の練習機が展示されていました。

道なりに進むと、知覧町護国神社があったので、手を合わせます。隣には三角兵舎が再現されていました。

「三角兵舎は特攻隊員の宿舎でありました。敵の目の欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ擬装してありました。各地から集まった隊員は2~3日後には雲のかなた沖縄の空に散華されました。出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を汲みかわしながら隊歌をうたい、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙等をしたためて、出撃して征ったのです。」

 

と看板に説明があります。

 

正面入り口。

 

零戦が展示されています。ここから先は撮影禁止です。

 

展示室は、遺品室と奥の戦史資料室に分かれています。遺品室がメインの展示場で、その名のとおり、特攻隊員の遺影が壁一面に、そしてハチマキやハンカチといった衣服や、文房具、お守りといった様々な遺品、直筆の遺書がガラスケースの中に並べられています。

 

この世代の方は字がきれいです。ただ私の知識不足と集中力不足により、達筆すぎて遺書はあまり読めませんでしたが、この年でこんな環境に置かれて、どんな気持ちで書いたのかと思うとやりきれません。婚約者への手紙は涙腺にきました。

 

展示を見ていると、年配の方に話しかけられました。「特攻機を女学生が見送っているあの写真はやらせだ。見送っている写真を撮るために、普段履かない下駄をはいているだろう。自分の兄の友人(?うろ覚え)が特攻基地で働いていて、特攻に行きたくないと泣く若者を無理やり飛行機に乗せていたんだ。そういう側面も知ってほしい」

 

その時は、「は、はぁ」という感じで終わったのですが、家に帰ってから気になって特攻について本を読んだり、動画を見たりしました。

・特攻に志願する者は紙に〇を、志願しない者は×を書くように言われ、そもそも×なんて書ける雰囲気ではなかった。×を書いた者は、一番に特攻に行かされた。
・特攻から何度も戻ってきた人に対しては、「なぜ戻ってくるのだ」と叱咤された。
というような話もありました。

 

こういった話の一方、「特攻隊はみんな誇りをもって、お国のために死ねる、と喜んで飛んで行った」とインタビューに答えている元兵士の方(インタビュー時点でもうおじいさんですが)もいました。

 

色々エピソードはあるようですが、その辺は情報がたくさん世に出ているのでそちらに譲るとして…

 

私が思ったのは、コロナ禍はまさにこの状況と重なるものがあるなぁということです。国全体に降りかかる事態、それに立ち向かう国や国民という集合体としての全体主義の意識と、個々人としての意識。

 

第二次世界大戦で本土決戦の練習のため使用した竹槍と、感染症対策の飲食店のアクリル板。私自身は竹槍もアクリル板もあんまり意味ないんじゃないかと思うタイプですが、意味があると思う人もいる。意味があるという意見を私が否定することはないし、ありふれた言い方だけどもそれぞれにその人の正義がある。

 

個々人のレベルでは、それぞれの考え方や意識を否定したり強制したりすることはよくないと(今日では)されているけれど、「全体」に逆らって自分を貫くのは難しい。あんまり意味ないんじゃないか派の私も、竹槍の訓練があったら私は全体の一部として参加しただろうと思います。

 

何が正しくて、何が事実で、何が真実かはその人によって違う。

 

今回勉強した中で一番印象に残ったフレーズ。
人間は自分の置かれた環境で自分の人生をコントロールする力がある。ある程度コントロールすることができる。けれども、「戦争」や「国家」「国際情勢」は、コントロールできないレベルで人々の生活に影響を与え、その人の人生を変えてしまう。

 

それを運命というのだと言われたら、元も子もないのだけれど。
色々と思うところがあった旅になりました。